過去を持つからこそ人は自分であることができる(2)
人が(疑似的にではあるが)無限の可能性を持っていることは、昨日の日記から分かってもらえたと思う。
未来が確定していない、というのは、これからの人生において、重要なファクターになるだろう。
ところで、未来が確定していないのは分かったが、過去はどうなのだろうか。
過去というのは、既に起こってしまったことだ。
グラスを落として割ってしまったり、財布を無くしてしまったり、人を殴ってしまったり。
やってしまったことは、取り返しが付かない。
つまりそれは、過去が確定していることになる。
しかし、本当にそうなのだろうか?
まず、どうしてそれが過去の出来事だと言えるのか。それは、人間の脳が、起こった出来事を記憶しているからだと考えられる。
人間の脳は必ず正しいか、というのを考えると、答えはノーだろう。
知り合い同士で、昔のことを話し合っていても、記憶違いというのは起こりえる。
つまり、人間の脳は信用できないのだ。
それを踏まえて、グラスを落として割ってしまった事実を、どうやって証明するのか。
人間の記憶?それは曖昧で信用が出来ない。
人間の記録?それは記憶の待避場所だ。
ラプラスの悪魔?人が位置とベクトルを同時に正確に測定することは出来ない。
つまり、割ってしまった事実を、どうやっても証明できないのだ。
そもそも本当に割ってしまっていたのだろうか?
それは、自分の脳が見せた、単なる幻影だったのではないだろうか。
そう。人間は過去すらも確定していないのだ。(つづく)