過去を持つからこそ人は自分であることができる(3)

人間にとっては、未来も過去も不確定な物なのだ。
自分が過去を振り返ったとしても、それは決して事実だとは言えないのだ。
1秒前の出来事でさえ、その過去が正しいという確証が得られない。
0.1秒前だろうと0.001秒前だろうと同じだ。
つまり、人は、過去に依存しないのだ。
今の時間をTとして、その次の瞬間を(T+1)とし、その前の瞬間を(T−1)とすれば、Tと(T+1)と(T−1)は、無関係なのだ。
しかし、もしこの事実が正しいのであれば、物を落としたときに、それが下に落ちるとは限らないのだ。上に落ちる可能性だってあるし、次の瞬間には別の世界になっていた、ということもありうるのだ。
しかし、上に落ちる事なんて今まで無かったし、もちろん今まで別の世界に飛んでいったことなんて無い。それが事実だ。
そう、「今まで」無かったのだ。
過去の出来事が信用できないのは前述した通りだ。
上に落ちたということを証明することも出来ないし、下に落ちたと言うことを証明することも出来ないのだ。
もしかしたら本当は上に落ちていたのかもしれないし、落ちていなかったのかもしれない。
答えは人が知り及ぶところには存在しない。


結局、過去という物は、自分に与えられた「幻想」に過ぎない。
記憶喪失の人間と、そうでない人間の違いは、この幻想が、脳に入っているか否かだけなのだ。
それを過去と呼ぶのであれば、それで構わない。ただ、それが正しい物ではない、という事実を覚えておくべきだろう。


過去を持つからこそ、人は自分であることが出来るのだ。
なるほど、そうかもしれない。
過去の積み重なりの「幻想」により、今の自分が形成されている訳なのだから。


人は過去に依存しない。そして未来にも。
しかし、残念ながら、この事実を証明することは出来ない。そう、今書いている出来事は、正しいと証明できないのだから……。