信念

英語として正しいのかどうかは知らないが、自分は、beliefという単語を、信念という意味で使っている。
だから、自分の信念に関する事柄を書くときには、beliefキーワードを付けるようにしている。


しかし、正直なところを言ってしまうと、自分の中には、信念などという大層な物はない。
信念の意味を辞書で調べてみると、

固く信じて疑わない心。行動の基礎となる態度。

とあるのだが、自分には、この「行動の基礎」というものが存在しない。少なくとも、存在を意識しないように心がけている。
なぜならば、それこそが、自分の行動を抑制する鎖となるからだ。
自分は、行動に制限を設けることを、ひどく嫌う。もちろん、この鎖も例外ではない。
例えば、「常識」という鎖。
物を大切にするのは「常識」だし、人を大切にするのも「常識」。もっと言ってしまえば、物が上から下に落ちるのも「常識」だし、物が耐えうる以上の力を加えると、それが壊れてしまうのも「常識」だろう。
しかし、そう言った考えが出てくるたびに考えてしまう。
本当に、物は大切にしなければならないのだろうか?人は大切にしなければならないのだろうか?
本当に、物を落とすとそれは落下をするのだろうか?物に耐久量以上の力を加えるとそれは壊れるのだろうか?
何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、自分には、これらを当たり前のように感じることは出来なかった。